「北斎で日本史 ―あの人をどう描いたか―」 すみだ北斎美術館

こんにちは。すみだ北斎美術館で2021年12月21日(火)〜2022年2月27日(日)まで開催される「北斎で日本史 ―あの人をどう描いたか―」展の報道内覧会に行ってまいりました。

建築家・妹島和世氏により設計されたすみだ北斎美術館。線路沿いに鏡面アルミパネルの建物が突如出現する違和感。公園で遊ぶ子どもたちも風景に溶け込んだ不思議な一体感。格好良い。

日本の歴史に焦点をあて、葛飾北斎やその弟子が歴史上の人物や事件を描いた作品が集結した本展。主に高校の日本史の授業で取り上げられる人物や事件を軸とし、当時の歴史観に基づき、神話の時代から安土・桃山時代、そして北斎の生きた江戸時代の歴史的事象が描かれた作品、弟子の描いた明治時代の錦絵までが展示されています。

いまだ捨てられない35年前の日本史の教科書を引っ張り出してきました。日本史受験だったからねー「一問一答」と「資料集」の3点セットは忘れられない。なので、この展示で「何が引っかかってくるのか」が楽しみでした。

何か見る時には出来るだけ先入観なしで乗り込みます。解説とか読まず、向こうから飛び込んで来るものを歓迎する。ボルタンスキー氏の言葉がいつも蘇ります。(記事 クリスチャン・ボルタンスキー -Lifetime」国立新美術館

自分自身を解放して心を委ねてみてください。まずはこの空間に身を任せて感じてみてください。解説はその後に読んでくださいね。

さて、北斎。展示は、神話の時代から明治時代まで時代別に構成されています。

神話には真実が散りばめられていると感じているので、このセクションは濃密でした。

天岩戸神話として知られる場面が描かれている『婦女庭訓 阥阦妹背山』。天照大神自身の姿が映った鏡は伊勢神宮に祀られ、別の鏡が三種の神器の一つとして宮中の内侍所に安置されたと伝わっています。

気になったのが周りを囲む象形文字のようなもの。神代文字?

葛飾北斎『婦女庭訓 阥阦妹背山』一 内侍所御鏡濫觴図 文化7年(1810)すみだ北斎美術館蔵

海神の娘である豊玉姫と結婚した彦炎出見尊 (ヒコホホデミノミコト)。出産の際は元の姿になるので決してのぞかないよう約束させますが、彦炎出見尊はのぞいて八尋鰐の姿となっている姫を見てしまい、姫は海に帰ってしまいます。あーあ。

古代は異界の者との境界が今より曖昧だったのでしょうね。

葛飾北斎『絵本魁』初篇 彦炎出見尊 豊玉姫の本形 天保7年(1836)パネルにて展示 すみだ北斎美術館蔵

北斎の富士図を約100図収載した版本『富嶽百景』。その最初のページに描かれた木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)は、富士山麓にある浅間神社の御神体として祀られています。衣服をチリチリとした線で表現するなど、北斎の描く美人画の特徴がみられます。

天照大御神の孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)に嫁いだ木花開耶姫命。孫が天皇家初代の神武天皇となります。

姫の父・大山津見神が邇邇芸命に、木花開耶姫命と姉の磐長比売命(イワナガヒメ)を共に差し出したところ、邇邇芸命は醜い姉を送り返したといいます。父・大山津見神は「磐長比売命を妻にすれば天津神の御子の命は岩のように永遠のものとなり、木花開耶姫命を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうが、木花開耶姫命だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のように儚くなるだろう」と告げます。以後、天皇が限りある命、寿命ができたという話に繋がります。

「醜い」は「見にくい」だったとどこかで読んだ記憶があります。姉が陰、妹が陽。闇があるから光が存在できる。常に同じ量のネガティブとポジティブが存在し、そこに優劣はなくただ「在る」のみ。

葛飾北斎『富嶽百景』初編 木花開耶姫命 天保5年(1834)すみだ北斎美術館蔵

『北斎人物画譜』は、弟子の為斎が押絵を寄せた『皇朝三字経』の押絵部分のみを改題して出版したもの。上部に禅宗の開祖である達磨と聖徳太子が描かれています。

聖徳太子の母とされる穴穂部間人。間人(ハシヒト)は波斯人(ハシヒト=ペルシア人)を連想させます。京丹後市丹後町間人(タイザ)、厳島神社、拝火教(ゾロアスター教)、ササン朝ペルシャの都ペルセポリスにそっくりな斑鳩〜などなど興味は尽きない。

葛飾為斎『北斎人物画譜』聖徳太子 仏像を難波の堀江に棄らる(部分)明治30年(1897)すみだ北斎美術館蔵

聖徳太子にグッと引き寄せられたのは、高校の日本史の先生が薦めてくれたこの本から。物事の見方を教えてくれた一冊。「はじめに」にこうあります。

ソクラテスは真理の認識は想起によって起こるという。人間の魂は、かつて真理の国にいて、真理をはっきり見ていた。しかし、今や人間は現象の国に生まれて、真理をはっきり見る眼を失った。それ故、この現象の国で、真理を認識するためには、かつて彼の魂がそこにいた真理の国を想起すればよいというのである。

羅生門の鬼。平安京の内と外を分ける門の外側は異界だったのかー。『羅生門』といえば芥川龍之介。最後の一文「下人の行方は、誰も知らない」は高校時代の仲間内で流行ったなー懐かしい。

葛飾北斎『画本武蔵鐙』上 羅生門 茨木童子 渡辺の綱 天保7年(1836)パネルにて展示 すみだ北斎美術館蔵

頼光の山蜘蛛退治の話。 なんと1.2m!もの山蜘蛛を捕らえて串刺しにして河原にたてたら、病が治ったという。

葛飾北斎『北斎画式』源の頼光(部分) 文政2年(1819)すみだ北斎美術館蔵

狼の山雄のおかげで蟒蛇(大蛇)を退治できたが、重季は為朝の飼っていた山雄を切ったことを後悔したという『椿説弓張月巻』。なんて迫力ある構図。

抱亭五清 椿説弓張月巻中略図 山雄(狼ノ名也)主のために蟒蛇を噛で山中に躯を止む 天保年間(1830-44)すみだ北斎美術館蔵

重季の毛皮の裏地が素敵でした。

高時が泥酔した時の様子を伝えている『太平記』の話を基にした図。嘴や翼のある山伏の姿をした異類異形が現れた様子が描かれています。

山伏といえば役小角(えんのおづぬ)の世界ですね。熊野古道を山伏スタイルで歩きたい。

葛飾北斎『絵本和漢誉』相模入道平の高時驕奢天狗障化をなす(部分) 嘉永3年(1850) すみだ北斎美術館蔵

そしてやっぱり波と馬。

北斎といえば世界が愛する”Great Wave”「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。(記事 「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」〜永田コレクション最後の東京公開)

水の表情に目が吸い寄せられます。

葛飾北斎『画本武蔵鐙』上 田原の復太郎忠綱 宇治川の急流をわたす パネルにて展示 すみだ北斎美術館蔵

葛飾北斎『絵本魁』初篇 其二(門覚荒行)天保7年(1836)パネルにて展示 すみだ北斎美術館蔵

Diorの北斎ドレスを思い出しました。(記事 あの北斎ドレスが見られる!〜「エスプリ ディオール〜ディオールの世界」を堪能

Christian Dior Spring 2007 Haute Couture

そして馬と騎手の動きが生き生きと描かれていた『画本武蔵鐙』。手綱は布のようですね。鞍はもちろん和鞍(記事 雪の回廊と「駒街道」/ 青森③

葛飾北斎『画本武蔵鐙』上 八幡太郎源の義家 天保7年(1836)パネルにて展示 すみだ北斎美術館蔵

甲冑の文様も見事です。

画面を見開きで縦に使って迫力を演出。重い甲冑を着てるのにこの手綱さばき!見事です。

葛飾北斎『画本武蔵鐙』下 上杉輝虎入道兼信 武田晴信入道信玄 天保7年(1836)すみだ北斎美術館蔵

木島櫻谷「かりくら」の躍動感を思い出しました。(記事 美を守る文化財修復の最前線を紹介〜住友財団修復助成30年記念「文化財よ、永遠に」)

北斎が「冨嶽三十六景」を刊行した後に出された、約100図の富士を描いた版本『富嶽百景』。異国の服装を着て、「来朝」の旗や楽器を持った通信士の行列。ほぼすべての人物が富士を見ていて、後ろ向きに描かれている。なんとも微笑ましい場面。

葛飾北斎『富嶽百景』三編 来朝の不二 すみだ北斎美術館蔵

長崎に宿泊するオランダ人を江戸の町人が見物に訪れている様子を描いた『画本東都遊』。肩車してもらってるね。子どもも大人もカワイイ好奇心。

色も装丁も素敵でした。

葛飾北斎『画本東都遊』享和2年(1802)すみだ北斎美術館蔵

装丁が美しかったのは、溪斎英泉『日用婦人珠文匣雑録 秀玉百人一首小倉栞』も。

厚みがイイ。小6の時、クラスで競うように覚えた百人一首。今でも上の句が出ると自然に下の句が続く。

溪斎英泉『日用婦人珠文匣雑録 秀玉百人一首小倉栞』六歌仙 嘉永3年(1850)すみだ北斎美術館蔵

久しぶりに降りた両国駅。国技館でディオールがショーを開催した時以来かも。(記事 ディオールが両国 国技館で2015年プレフォールコレクションのショウを開催!

すみだ北斎美術館まで、高床式の倉をイメージしたという江戸東京博物館(私には今にも飛び立ちそうな母船にしか見えない)を横目に歩く。

美術館3階ホワイエからのスカイツリーが夕陽に輝いていました。

この機会に是非、北斎を通じて日本の歴史に触れてみて下さい。

すみだ北斎美術館 企画展「北斎で日本史 ―あの人をどう描いたか―

会期 2021年12月21日(火)~2022年2月27日(日)
前期:12月21日~1月23日
後期:1月25日~2月27日
開館時間 9:30~17:30(入館は17:00まで)

休館日 毎週月曜日、年末年始(12月29日~1月1日)
開館:1月2日(日)、1月3日(月)、1月10日(月・祝)
休館:1月4日(火)、1月11日(火)

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